クレモナへ行こう
と、思ったのは26歳くらいの時、バイクに乗ってその日の営業活動からの帰宅途中、正面にきれいなまんまるの夕日を見ていた時でした。
突然頭の中にカーンという音――それは以前旅行で行ったカンボジアの
アンコールワット横にあるプノンバケンの丘、というところで聞いた『鐘の音』という名のセミの鳴き声でした――が響いて、その時に
「あぁ、僕はこの音が出るコントラバスを作ればいいんだ。」
と思ったのです。
その当時(2001-2002年)僕は世界のいろんなところで起こっている事柄、それに対して動いている人たちの様子などを
ニュースで見聞きしていて「どうしたら良い世界というのを作れるのだろうか」と考えていました。
そしてそのために自分はいったい何ができるのだろうか、と。
そんな事を毎日毎日考えて出てきた答えが「楽器を作る」という事だったのです。
それは自分が何か、この世界に対して働きかけられる手段として。もちろん楽器を作るという事ですぐに世界を 変えられるというのではなく、僕の想いとしては、僕の作った楽器の音を聞いた人がすぐにではなくとも、その音を聞いた事によって何かを感じ、
考えるきっか けになればいいな、という事です。
刻一刻と、様々に変わりゆく世界の中で、また大きな歴史の流れのうねりの中にあっても、常に人間性を失わず少しでも良い世界を作るのに役立つような仕事ができればと思い楽器を作っています。
それには、今の僕にとって楽器を作るという事が一番合ってると思うのです。
クレモナはアマティ、ガルネリ、ストラディバリらが楽器を作っていた街です。
この街には今もまだ、当時確実にアマティだってストラディバリだって見ていただろう、という建物がほぼそのままの形でたくさん残っています。
また、時間においても、教会の鐘が鳴る事により作られる一日の生活のリズム。それが連続する事により発生する一週間、一ヶ月、そして一年のサイクルというものはおそらく彼らが生活していたときとその感覚においては基本的には変わっていないように思います。
私はクレモナのこのような環境、空気感というのが楽器を作る上でとても大きな影響を与えてくれていると思うのです。
私はクレモナにある国立のヴァイオリン製作学校で一から製作を学びました。
また、学校に通っている間にもいろいろなマエストロ達のもとで勉強させてもらった事により、楽器の見方、作り方、修理の方法など本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。
クレモナに来て一年目は、ほぼ毎日暇さえあれば市庁舎にあるStradivari “IL Cremonese 1715”を見に行ってました。
また、初めてのコントラバス(Gaparo da Salo’ Model)を作るときはVeneziaのSan Marco寺院にある実物のGasparo da Salo’を見に行ったり、Bresciaの街の市立博物館にあるMagginiも見せてもらいました。
そのようにして現代の技術を学んだ上で、先人の作った実物の楽器を見て、
触るということは私の楽器を作る上で非常に力を与えてくれていると思います。